天源占星術

家康の天下取りに使用されのが天源占星術です。
生年月日ではなく受胎日から算出し天性や初年期・中年期の素質や才能を見抜きます。

天源占星術の極意

この天源占星術とは、生れた日から265日前の干支(えと)で性格、運勢を判断する四柱推命を応用した占星術です。生年月日から逆算して占います。人がこの世に誕生する十月十日(265日)前は、受精卵に神様が霊を与える瞬間の時だとされています。徳川家康の最高軍師であった天海大僧上が発明・創出し、家康の天下取りに使用されました。人は生まれ育つうちに、持って生まれた癖が出てきますが、その悪い癖の延長線上でどんなに努力しても開運はできないと判断します。本来の心の願い(長所=天干の部分を見る)は何であり、自分の短所である癖(地支を見る)を直し、改善することで開運へ導きます。未熟児や早産などの場合は、当たりにくい場合がありますが、その人の本質を把握する上で非常に参考になります。

※天源占いは四柱推命を生年月日ではなく受胎日から算出して見ていきます。

  1. 年干支は大性と呼ばれ、天性の素質や遺伝を見ます。
  2. 月干支は中性と呼ばれ、中年期における素質や才能を見ます。
  3. 日干支は小性と呼ばれ、初年期から青年期における素質や才能を見ます。

天源占星術を創り出した天海大僧正

天源占いを創り上げた慈眼大師・天海(1536?-1643)は、徳川家康から秀忠、家光に至る3人の将軍にブレーンとして仕え、江戸初期の街作りや宗教行政に絶大な影響力を持った名僧です。ある時は家康に近侍する「黒衣(くろえ)の宰相」、またある時は風水に基づいて江戸の都市計画を行った「陰陽師(おんみょうじ)」。身長180センチという当時としてはかなり大柄な体格で、正確な生まれた年は不明ですが、108歳で天寿を全うしたと伝えられ、その人物のスケールの大きさ、健康管理術の徹底ぶりは他に類を見ません。

天海は現在の福島県会津に生まれ、10歳で天台宗の僧として出家して「随風(ずいふう)」と名乗り、比叡山や三井寺(滋賀県)などで修行を繰り返しました。その半生は謎の部分が今なお多く残りますが、京都、奈良をはじめ各地の名刹(めいさつ)を渡り歩く流浪の時代が長く続きました。大きな転機が訪れたのは、現在の埼玉県川越の地に移り住んでからです。天正十八年(1590)、かつて関東天台宗の核心として栄えた無量寿寺(むりょうじゅじ)北院の住職・豪海に師事し、54歳になって名を「天海」と改める。徳川家康もこの年、初めて江戸入りし、軌を一にしています。

天海と家康との初対面は時期に諸説あり、こんな伝承もあります。家康が江戸入りした当時、関東は北条氏の勢力下にあり、家康は情勢視察のため、鷹狩りを名目に各地を訪れました。そのころ、無量寿寺には北院、中院、南院の三つの子院があり、中院が一番中心でした。ある日の夕刻、鷹狩りに来た家康が同寺を訪れ、地侍だと偽って宿を求めたところ、中院は宿泊を断りましたが、北院は「それはお困りのことでしょう」と快諾し、宿泊できました。この時に家康と天海との運命的出会いがあった可能性があると伝えられています。 慶長4年(1599)、師・豪海の没後、天海は正式に北院の第27世住職に就任。寺は戦国騒乱に巻き込まれて荒れ果てていましたが、後に家康の絶大な信頼を得た天海の下で寺名を「喜多院」に改め、関東天台宗の本山として再興されることとなります。 天海は徳川将軍の名参謀として、江戸幕府の基盤作りに大きく貢献。幕府の宗教行政や江戸の町づくり、日光山の復興など、風水を駆使した江戸城中心の町づくりを完了、一僧侶の枠をはるかに超えた働きをしました。 家康の天海に対する信頼の厚さは相当なもので、「天海僧正は、人中の仏なり。恨むらくは、相識(あいし)ることの遅かりつるを」と嘆いたほどでした。

風水による江戸の町づくり、宗教行政導く

天海は人の開運法について「人間本来の運命を開こうとすれば、自己の性質や悪癖を知り、十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)の大原則で自己の心の不健全さを矯正しなければならない。この修養を徹底して成し遂げると、運が上昇し、天理にかない、塞(ふさ)がれていた運も開発して広がっていく」と述べています。自分の生まれた日の十干(天の願う本来の才能)、十二支(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥=本能的に持っている悪い癖)を知れば、長所、短所が分かり、長所を伸ばして短所を出ないように努力していけば開運することを強調しています。この原理原則を使い、四柱推命を応用して新たに創り出した占術こそ、天源占い(天源開運術)です。

天海と徳川三代将軍との緊密な関係は、いまも、川越の喜多院で垣間見ることができます。喜多院境内には東照大権現・家康を祀(まつ)る「仙波東照宮」があります。元和2年(1616)、家康が駿府で没すると、遺言によって一旦は久能山に葬り、その一年後に日光山に改葬されました。その途中、家康の遺骸は4日間にわたって喜多院に留まり、天海によって大法要が営まれています。境内に東照宮があるのはこのためで、天海によって寛永10年(1633)に造営されました。 また、境内には「徳川家光誕生の間」「春日局化粧の間」を持つ「客殿」「書院」と呼ばれる江戸初期の建物があります。これは、寛永15年(1638)の川越大火で喜多院がほぼ全焼した際、家光が天海のために江戸城紅葉山(もみじやま)の別殿を直ちに解体して移築させたものだ。江戸城の書院式建物は皇居内にも残されておらず、貴重な文化財となっています。

秀忠と家光は寛永元年(1624)、天海のために江戸城近郊に寛永寺を建立させた。川越と江戸の間を頻繁に行き来する高齢の天海を思いやった措置とも言われる。これを機に、関東の天台宗総本山は喜多院から寛永寺に移っています。 天海は寛永20年(1643)、寛永寺で108歳の生涯を閉じました。生前、家光から不老長寿の秘訣を尋ねられた時、答えた言葉はこうです。 「気はながく 勤めはかたく 色うすく 食はほそうして こころひろかれ」。

天源占星術の特徴

天源占星術では、人の持って生まれた習慣的、本能的な悪い癖は生年月日の日支に表れ、青少年期にそれを打破・克服することが開運の本質であると説いています。ズバリ本質を見抜き、言い得て妙。生まれた日の十二支の持っている本能的な悪い癖と改善方法は以下の通りとなります。

  • 子(ネズミ)生まれ : お金を無理矢理ふやそうとする癖がある→改善法:金儲け目的の打算、そろばん勘定だけで行動しない。
  • 丑(ウシ)生まれ : 曲がることなく頑固に無理矢理押し通そうする癖がある→改善法:真っ直ぐだけ行動せず、時には自ら折れ曲がって遠回り、回り道すること。
  • 寅(トラ)生まれ : 勢いが強すぎる癖あり→改善法:押すだけでなく引いて黙ってみている寛容さも重要。
  • 卯(ウサギ)生まれ : 優先順位が高い、一番なすべきことをしない癖あり→改善法:身の回りの整理整頓から始め、自分の頭をきちんと整理・計画し直すこと。
  • 辰(タツ)生まれ : 理屈を無理矢理、非に曲げても勝ち通そうとする強引な癖あり→改善法:自分だけの正義感を捨てて、対人関係を穏便にし、人の和を大切にすること。
  • 巳(ミ)生まれ : 他人の芝生が青く見え、ねたみや嫉妬が多い癖あり→感情的にならず、客観的に冷静に物事を見るようにすること。
  • 午(ウマ)生まれ : 金持ちらしく他人に見せたい派手な癖あり→質素倹約を重んじ、目立たない生活で満足すること。
  • 未(ヒツジ)生まれ : あれこれと思いわずらいばかりが多すぎて悩む癖あり→改善法:臆病にならず、白黒はっきりさせ、思い切り良く行動する勇気、決断力を養うこと。
  • 申(サル)生まれ : 人からの名声・評価を受けたくて奔走する癖あり→改善法:他人の評価ばかりを気にせず、人の真似ごとを止めて自信を持ち、真に自立すること。
  • 酉(トリ)生まれ : 他人から「スゴイね」と誉められたくて小賢しい策謀ばかり出す癖→改善法:小賢しい知恵を完全に捨て去り、地道に汗を流して努力すること。
  • 戌(イヌ)生まれ : 辛抱強さを他人に見せたいと思う癖あり→いつも素直な心で「なるほどね」と感動すること。
  • 亥(イノシシ)生まれ : 後を振り返らず、まっしぐらに猪突猛進してしまう癖→改善法:自分勝手に善悪を決めつけないこと。

主な鑑定項目のご案内

天源占星術コース

A4判 約3枚/3,300円(税込)

※サンプルは上田桃子選手


  • 天源占星術鑑定書(A4判1枚)

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